こんにちは、今日も英語勉強中のはるちゃん先生です。
はるちゃん先生も「先生」を名乗っていますが、これまで長い間英語を勉強してくる中でたくさんの英語の先生に出会いました。
優しい先生、楽しい先生、ちょっと厳しい先生、いつも大笑いさせてくれる先生…。
英語の教え方も、人との接し方もそれぞれ違っているんだけど、みんな味わい深い、いい先生たちでした。
振り返ってみると、はるちゃん先生にとって英語学習って、言語の勉強だけではなく、人として成長する機会でもあったんだなぁ。
それで、今回は、これまでに出会った英語の先生たちとの思い出を振り返りながら、英語を通して得た大切な「学び」についてお話ししたいと思います。
カナダ留学で出会った2人の先生

クールで旅好きな女性の先生
カナダの語学学校で最初に担当してくれた先生は、それまで出会ったことのない、クールでかっこいい女性の先生でした。
見た目も雰囲気も、ちょっと片桐はいりさんを思わせるような独特の個性で、一見すると無口でドライなタイプにも見える先生。
でも、実際には、世界中を旅してきた経験を活かしながら、生徒一人ひとりにしっかりと向き合ってくれる、あたたかい先生でした。
サバサバとした先生なので、勝手に気後れしていたのですが、ある時、勇気を出して、英語の相談をしてみたんです。
英語のリーディングを伸ばしたいと思って、どんな本がいいか尋ねたところ、「ここの本屋さんの、このコーナーにあるこういう本がおすすめだよ。一緒に行こうか」と親身になって寄り添ってくれました。
クールな外見と、じっくり話を聞いてくれる内面とのギャップがとても印象的で、今でも彼女のアドバイスの一つひとつをよく覚えています。
子育てと仕事を両立する、お母さん先生
もう一人、強く印象に残っている先生は、就学前の2人のお子さんを育てながら教壇に立っていた女性の先生です。
お母さんという役割と、先生という役割をどちらも大切にしたその温かい雰囲気に安心感を覚えたものです。
留学当初の私は、言いたいことがうまく言えず、自信をなくしがちで、教室でもどこかおびえたような表情をしていたと思います。
そんな私に気づいていつも気遣ってくれて、「大丈夫よ、あなたのペースで進めばいいの」と笑って声をかけてくれたり、授業の中でも個人的にしっかり褒めて自信を持たせてくれたり、本当に助けられました。
そんな彼女はやさしいだけでなく、教室ではきちんとルールを守らせる“芯の強さ”もありました。
色々な文化や背景を持ったクラスメイト達が集まっているので、そうした違いから小さなトラブルが起こるときもあったんですが、必要なときはピシッと指導もしてくれました。
でも、バスハイクでクラスのみんなと移動中のバスの中で、
「今朝、うちの子が靴を履きたくないって言って30分格闘してたの(笑)」とか
「嫁姑って色々あるよねぇ」なんて、
自分と同世代の生徒とお悩み相談をしていたりして、そんなかわいらしさも魅力でした。
この2人の先生たちの出会いは、カナダでの留学経験の大切な宝物です。
アメリカのESLで出会った先生
次は、アメリカ滞在中に経験した学びです。
文化の違いに気づかせてくれた包容力のある先生
アメリカでESL(英語を母語としない人向けのクラス)に通っていたときに出会った先生は、どこかお父さんのような、包み込むような優しさをもった方でした。
体格も声も大きいのに、いつも落ち着いていて、ゆっくり、しっかりこちらの目を見て話してくれて。
そんな安心感のある先生に、ちょっとした文化の違いを通して、大きな学びをもらったことがあります。
ある日、私はひどい鼻かぜを引いてしまっていて、授業中もずっと鼻がグズグズしていたことがあったんです。
日本では、誰かが静かにすすっていてもあまり気にされないように思いますが、アメリカではまったく逆。
鼻をすする音は「周囲への配慮がない」と受け取られてしまい、不快に思われることもあるのです。
その時の私は、そんな文化の違いにまったく気づかず、授業中ずっと鼻をすすっていたのですが、
先生は何も言わず、笑顔のまま、そっとティッシュの箱を差し出してくれました。
一瞬、「あっ、いけなかったんだ」と気づいて、顔が熱くなる思いがしましたが、先生の表情はあくまでも優しく、責めるような雰囲気は一切ありませんでした。
言葉ではなく、そのさりげない行動で伝えてくれたことが、今でもとても印象に残っています。

英語とともに“マナー”も学んだ貴重な時間
英語をネイティブの先生から学ぶということは、単に単語や文法を教えてもらうこと以上の意味があると、この出来事を通して感じました。
言葉の背景にある文化、価値観、そして人との距離感──そういったものは、教科書だけではなかなか身につかないものです。
「英語が話せるようになる」という目標の裏側には、「相手を理解しようとする姿勢」や、「違いを尊重する心」が必要なんだと、あらためて思わされた時間でした。
この先生のように、指摘せずに、そっと気づかせてくれる配慮は、英語力ではなく“人としての懐の深さ”のようなもの。
人とつながるためには言葉だけじゃない、思いやりが大事。
それを学んだ経験でした。
日本で出会ったアメリカ人の先生
日本にいながらでもネイティブの先生から学ぶ機会はたくさんあります。
次は、そんな出会いのお話です。
とても静かで穏やか、焦らず学べる授業スタイル
日本で出会ったアメリカ人の先生は、それまで出会ったどの先生よりも、静かで落ち着いた雰囲気の方でした。
表情も、雰囲気も、声のトーンも、話すスピードも、すべてが穏やかで、教室に入った瞬間から、空気がすっとやわらかくなるような感覚があったのを今でも覚えています。
その先生の授業は、テーマをもとに会話を広げていく“テーマトーク”形式。
たとえば、「旅行」「子どもの頃の思い出」「今週あった出来事」など、身近な話題から自由に話しながら、自然な英語表現を身につけていくスタイルでした。
そのころの私は、言いたいことを英語でまとめるのに時間がかかってしまうタイプ。
でも、この先生は、決して言葉を急かすことなく、本当に本当に穏やかな空気をまとって、私が言葉を探すのを静かに待ってくれました。
その穏やかな空気のおかげで、「間違ってもいい」「急がなくていい」と心から思えたことが、何よりの安心材料でした。
「自分のペースで、自分の言葉を紡げばいいんだ」
それは大きな学びでした。

そっと添えられた「ワカリマス」のひとこと
ある日、どうしても伝えたいことがあったのに、うまく言葉にならず、英語も思うように出てこなくて、アワアワとなってしまうことがありました。
そのとき、先生はにこっと笑って、小さな声で「ワカリマス」と日本語で言ってくれたんです。
そのたった一言が、胸にすーっと染み渡るような、不思議な安心感をくれました。
「大丈夫、あなたの気持ちはちゃんと伝わってるよ」
そんなふうに言ってくれたようで、心の底から安心しました。
文法にこだわりすぎなくても、気持ちをこめて話せばちゃんと届く。
英語を話すことに対してのハードルがぐっと下がり、もっと自由に話してみようと思えるようになったのは、この先生の「ワカリマス」のおかげ。
おわりに|英語を学ぶということは、人と出会うこと
はるちゃん先生が英語を「教えたい」と思うようになった理由
こうして振り返ってみると、私が英語を続けてこられたのは、どの場面にも“先生”の存在があったから。
英語学習を続けるなかで、不安なとき、迷うとき、壁にぶつかるときがありました。
でも、必ずそばには、やさしく見守ってくれる先生たちがいて、言葉だけでなく「あなたは大丈夫」と伝えてくれていたんですよね。
そんな先生たちの姿に、私は何度も励まされ、少しずつ前に進むことができました。
そしてあるとき、思ったんです。
「今度は私が、誰かのそばで“できるよ”と言ってあげられる人になりたい」
その想いが、私をTESOL(英語を教えるための資格)の学びへと導いてくれました。
(※詳しい話はまた別の機会に書きますね。)
そして、直接英語を教える以外にも、「誰かの『英語を学びたい』を優しく後押しできたら。
そんな気持ちでこのブログを書いています。
これから英語を学ぶ人へ
もし今、英語の勉強に悩んでいたり、「自分には無理かも…」と思っていたりする人がいたら、伝えたいことがあります。
英語を学ぶということは、単に言葉を覚えることだけではなく、“人とつながる力”を育てること。
あなたの前にも、きっと忘れられない先生との出会いがあるはずです。
そして、その出会いは、きっと英語以上の何かを、あなたに届けてくれるはずです。
英語の勉強は、決して一人きりの旅ではありません。
大丈夫、ゆっくりでも、間違えても、進んでいれば必ず見えてくる景色があります。
今日もあなたのペースで、一歩ずつ。はるちゃん先生といっしょにね。